第3章 日本の恋人
室内には甘いコーヒーの香りが漂っていた。久美子はキッチンに立つ達郎の後姿をぼんやりと見つめていた。達郎はコーヒーカップを両手に持ち、久美子のもとにやってきた。
「ごめん。ミルク切らしちゃってるんだ。砂糖だけならあるけど、入れる?」
「あ、はい。お願いします」
「もってくるよ」
「すみません」
「いいって」
室内を見回すと、窓際のサイドボードの上に写真たてが置かれているのに気がついた。
「ああ、それ?」
達郎が戻ってきて、言った。
「あ、ごめんなさい。勝手に見て」
「いいんだよ。京都に行ったときに彼女と撮ったんだ。ずい分前に。若いだろ?」
達郎はそう言って、久美子にVサインをして見せた。久美子が黙って頷くと、お手製らしき木目の器から、砂糖を二杯すくって久美子のカップに入れ、かき混ぜて差し出した。久美子がカップを受け取ると、達郎は再びキッチンに行ってしまい、その奥から折りたたみ式の木椅子を持ってきた。そして、久美子の斜め向かいに腰をおろし、ブラックのままコーヒーを飲み干した。
「あの、今日はお出かけされているんですか?」
「えっ?彼女?」
「ええ」
「彼女は日本にいるんだよ。俺、一人でこっちにきたから」
「一人で?」
達郎は座ったままボードにある写真たてに手を伸ばした。
「彼女は同級生で、小学校と中学校が一緒でね。俺は成績が悪かったから高校を出てすぐに就職したけど、彼女は大学に進んで、付き合い始めたのはその頃からだから、もう何年になるかなあ。本当なら結婚しなくちゃいけないところを、脱サラしてこっち来ちゃったから」
「あなたは…ずっとここに住んでいる方ではなかったんですね」
「さっき君は、ログハウスが好きだからここにきちゃったって言ったろ?実は俺も子供の頃からログハウスが大好きで、大人になったら自分のログハウスを建てるのが夢だったんだ。社会に出てからは職を転々として、ようやく長続きしたのが車とバイクの修理屋だったんだけど、俺にとってバイクいじりはやっぱり趣味の領域でしかなくて。結局、夢をあきらめきれなくて、貯めた結婚資金を全部注ぎこんで、ここに来たんだ」
「相手の方は?」
「愛想つかされると思ったんだけど、ありがたいことに今も続いてるよ。日本には年に二回帰る。一週間くらい彼女のマンションで過ごして、またここに戻ってくる」
「結婚しないんですか?」
「今の俺はログビルダーといってもまだ見習いで、それだけじゃ食ってけないからね。夜は水商売してるんだ」
「水商売?」
「うん。街のショットバーでバイトして、生活をつないでる。彼女は俺と違って頭がよくて、今じゃ新しい事務所をかまえて、司法書士の先生さ。彼女だって今の生活は捨てられないだろうし、他に好きな相手にも巡り合っていないから、もう何年もこんな感じで。まあ腐れ縁ってとこかな」
達郎はそう言いながら、持っていた写真たてをボードの上に戻した。
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