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2008年12月

第24章 愛が壊れるとき

 三月下旬、空港の出発ロビーには、テイラー夫妻をはじめ、美樹のクラスメイトとその父兄、親しくしていた近所の人達までが見送りにきてくれた。その姿を見た美樹は、夫と一緒に遅れて帰ると、泣いて駄々をこねた。困り果てた夫が、夏休みに再びバンクーバーを訪れることを約束して、その場をなんとかおさめた。

上空から見下ろすバンクーバー。美樹は飛行機の窓に顔をピッタリと付け、食い入るようにその風景を見つめていた。異国でできた友人たちとの別れを惜しみ、肩を震わせ泣いている。その街並みが雲の中に消え、見えなくなったとき、久美子の瞳からも涙が流れ落ちた。達郎が空港の展望デッキで見送ってくれていることを、久美子は美由紀からきいていた。身を切られるような達郎との別れだった。

 そして久美子の日本での生活が始まった。帰国後、真っ先にしなければならないことは、三年間留守にしていた自宅の大掃除だった。加えて美樹の中学入学の準備、町内会の会合など、諸々の所用に追われた。夫はそれらがひと段落ついた頃、5月の連休明けに日本に帰ってきた。

夫の帰国と同時に、カナダに発つ前と同じ生活が始まった。帰りが深夜に及んでも、夕食は必ず家でとる夫の日課も、寝ないで夫をまつ久美子の日課も復活した。家族で囲む週末の食卓は笑顔と笑い声がたえず、一家団欒の、絵にかいたような幸せが再び訪れた。

 久美子は長い髪をアップに上げ、バスローブに身を包み、リビングにやってきた。先に風呂を済ませた夫の鈴木が、ビールを飲みながら新聞に目を通している。鈴木は久美子に気づくと、あらかじめ用意していたグラスにビールを注ぎ、さりげなく差し出した。

 「ありがとう」

 久美子はそう言ってソファーに腰をおろすと、ごくごくと音をたてて一気に飲みほした。束ね損ねた送り毛が汗でうなじにはりついている。頬はほんのりと赤らみ、白い素足に薄いピンクのマニキュアがきれいに塗られている。鈴木はそんな久美子に見とれていた。

 「ああ、おいしかった」

 空けたグラスを片づけようと立ちあがった久美子を、鈴木が背後から抱きしめた。うなじに唇を這わせながらバスローブの結び目をほどく。ふりむかせてゆっくりとソファーに倒すと、バスローブが半分はだけ、湯上りのピンク色に染まった右胸が顔を出した。鈴木はすかさずその胸に吸いつき、右手でもう片方の胸を掴むと、ゆっくりと動かし始めた。

 「だめよ。こんなところで。美樹が起きてきたらどうするの?」

 「子供はもう夜中さ。起きてきやしないよ」

 鈴木はそう言って久美子の股間に顔を埋めた。娘に気づかれるのを危惧し、声を殺せば殺すほど、激しく身悶えする久美子に、鈴木の欲情はどんどんエスカレートしてゆく。鈴木は久美子の束ねた髪をほどき、着ていたパジャマを脱ぎ捨てた。バスローブを翻し、後から久美子を突く。体位を変えることなく、延々と突き続ける。こらえきれなくなった久美子がついに声を上げる瞬間、鈴木の手がその口をふさぎ、二人は共に果てた。

 ほどなくして、鈴木が久美子の背中に飛び散ったしずくをティッシュで拭い、鈴木はパジャマ姿に、久美子は元のバスローブ姿に戻った。長い髪をかき上げ、再び束ねる久美子に鈴木が話しかけた。

 「久美子、二人目をつくらないか?」

 久美子は驚いて顔をあげた。

 「美樹にきょうだいをつくってやりたい。一人っ子はやっぱり淋しいと思うんだ。どうだろう?」

 美樹が小学校に上がる頃、久美子は二人目をほしがったが、夫は頑として首を縦に振らなかった。それは夫なりに、久美子の身体をいたわってのことだった。

美樹を身ごもってからの久美子は体調不良が続き、入退院を繰り返した。つわりは途絶えることなく延々と続き、点滴を打ちながら出産に臨んだ。普通分娩でこそあったが、難産で、久美子は三日三晩産みの苦しみを味わった。その三日間は鈴木も会社を休み、久美子につきっきりで出産に立ちあった。出産の処置も壮絶で、鈴木は傍らで見守ることしかできない自分がはがゆかった。分娩台の傍らで久美子の手を握りしめ、涙を流しながら母子の無事を祈った。美樹が生まれた瞬間、久美子は意識を失った。久美子の意識が戻ったのはそれから2日後で、しばらく退院できなかった。

鈴木は大の子供好きで、子供は何人もほしかったが、愛する女にこんな思いは二度とさせたくないと思った。だが、久美子はそんな夫のためにも、そして美樹のためにも二人目がほしかった。久美子は初産が難産でも、二人目もそうなるとは限らないこと、今は無痛分娩や水中出産といった妊婦に負担をかけない出産法があることを話し、懇願した。だが鈴木は、「出産のリスクは減っても、そこに至るまでの君のリスクは減らない。食べたい物もろくに食べられず、どんどん痩せ細ってゆく君を見るのはつらい」と言って、取り合わなかった。

その夫がなぜ、ここにきて急に二人目がほしいと言い出したのか、久美子は府に落ちなかった。言葉を失っている久美子に鈴木は続けた。

「子はかすがいというだろう?僕たちの絆をもっと強めていくためにも二人目がほしいんだ。美樹のためだけじゃない。君だって二人目をほしがっていただろう?」

 その言葉に久美子は愕然とした。夫が変わってしまったのか、本来そういう性格で自分が気づかなかっただけなのか、それとも自分が変わってしまったのかわからないが、いつも堂々として、自信に充ちあふれていた夫が急に小さく見えた。

 「もちろん無理にというわけじゃない。産むのも、その苦しみを味わうのも君だから、君が嫌だっていうなら今のままでいい。でも、考えてみてほしいんだ」

 考えるまでもなかった。確かに美樹を一人っ子にはしたくない。だがそれは、今でも変わらず夫を愛している場合だ。久美子は今の夫に魅力を感じない。心をつなぎとめておくために子供をつくるなど、言語道断だ。

 男の女々しさや愚かさもまた、その深い愛ゆえであることを、このときの久美子は理解できなかった。沈黙の後、久美子は口を開いた。

 「確かにきょうだいがあるのはいいことだわ。私も初めてのときと同じになるのを覚悟して、あなたに二人目をせがんだこともあったけど、あのときはまだ20代だった。でも、今はもう38よ。だから…ごめんなさい」

 鈴木は唖然とした。こんなにもあっさりと断られるとは思っていなかったからだ。断られるにしても、しばらく考えてからの返答だと思っていた。鈴木はショックを隠せなかった。

 「シャワーを浴びてくるわ。あなたは先に休んで」

 夫への愛が完全に覚めた瞬間だった。胸や腰に残る唇の跡さえ、洗い流してしまいたかった。夫からの返答はなかった。

美樹を産んだ時の苦しみは壮絶だった。今でもはっきりと覚えている。まさに命を賭けて産んだのだ。だが、今の夫のために命は賭けられない。

もし再び子供を産む日がくるとしたら、その父親は達郎以外に考えられなかった。久美子は熱いシャワーを浴びながら、むしょうに達郎に抱かれたい衝動に駆られた。

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第25章 ビジネスパートナーとの出会い

 カンボジアの首都、プノンペン。道路には車とバイクが溢れ、砂ぼこりが舞い、人々の汗と排気ガスが入り混じった混沌の街。季節は乾季と雨季のみで、一年中で雨期に入る直前の4月が最も暑く、気温は40度まで上昇する。

 ジョンがなぜ最も過酷なこの時期にカンボジア行きを決めたのか、達郎にはわからなかった。達郎はカナダ以外の外国を知らない。プノンペンは達郎にとって初めての“アジア”だった。

ジョンはタクシーを使わず、あえてトゥクトゥク(三輪自動車)を使った。達郎は、ジョンにマスクとサングラスを携帯するように言われていた訳がようやくわかった。排気ガスと赤土と埃をもろに吸い込むことになるからだ。風は温風というより熱風だった。

 ジョンは達郎を連れだってある学校を訪れた。そして、その校長と共に今度は車で農村に向かった。クーラーの効いている車は、カンボジアでは天国を思わせた。

 農村に到着すると、車の周りに沢山の村人たちが集まってきた。車を降りると、一気に汗が噴き出し、一瞬にして下着までびしょ濡れになった。子供たちが後をついてくる。田んぼの中の一本道を5分ほど歩くと、木の枝と干し草でつくられた粗末な小屋に辿り着いた。小屋といっても地面の上の掘っ立て小屋で、中では裸足の子供たちが字を習っていた。

 小屋の裏にはロープが張られ、立入禁止になっている。そこから先に無数の地雷が埋まっているのだ。よく見ると授業を受けている子供の中には、手や足のない子が沢山いた。それは、村の大人でも同じだった。目を見開いたまま立ち尽くす達郎に、ジョンは言った。

 「孤児院や学校を建てるだけでは、子供たちは通ってこない。学ぶことより、働くことの方が先決だからだ。そして、働くことに太刀打ちできる唯一のものが食べることだ。運よく学校に来られる子でさえ給食を持ち帰り、家族に分け与えている。7歳の女の子がその下にいる3人の兄弟を養っていたりするのだ。それでも生まれた村で生きていける子はまだ幸せだ。そうでない子は売られていく。今の女の子の相場は日本円で三千円だ。子供に限らず、生きていくために臓器や血を売ることも珍しくない。もっともそれはカンボジアに限らないが…。私たちができることはあまりにも小さい。それでもできることからやっていこうと思う。ここにもう少し大きくて頑丈な校舎を建て、給食を三回配り、子供だけでなく、大人にも字を読めるようになってもらいたいものだ」

 達郎は返す言葉が見つからなかった。手や足や指がなくても、くったくのない笑顔の子供たち。達郎はそんな痩せ細った子供たちが眩しかった。急に視界がぼやけて、目の前が見えなくなった。達郎の頬を幾筋もの涙が伝っていたからだ。

 その晩、達郎はプノンペンにあるインターコンチネンタルホテルで、ジョンから日本の外食産業の将来を担うと目されている若手社長を紹介された。年は達郎と同じで38。カンボジアにすでに三つの学校を建設している。地雷撤去支援にも積極的に取り組んでおり、会社の総利益の一割を毎年寄付していた。

 「はじめまして。㈱ジャパンフーズの新庄と申します。カンボジアのプロジェクトは沢木さんに一任されていると会長から伺いました。同じ世代に育った者同士、分かり合えることも多いでしょう。これからよろしく頼みます」

 そう言って新庄は達郎に右手を差し出した。その力強い握手に達郎はたじろいだ。達郎はジョンから何もきかされていなかった。突然カンボジアに連れてこられ、初対面の相手からいきなりプロジェクトリーダーだと言われても、何がどうなっているのかさっぱりわからない。横目でジョンを見ると、ニコニコ顔で何度も頷いている。頭のいい新庄はその様子から事情を察したようで、達郎にことのいきさつを説明しだした。

 「僕の本来の目的は学校を建てることだけで、給食までやるつもりはなかったんです。ですが、貧窮に喘ぐカンボジアでは言い方は悪いのですが、食べ物なしで人を呼び寄せることは不可能でした。学校の建設は当初は5校を目標としていましたが、給食もやることになり、資金面で3校にとどまってしまいました。そこにエコロジカル・ログ・カンパニーさんから共同プロジェクトの申し入れがありました。建設部門をエコロジカル・ログ・カンパニーさんで、給食部門を当社でというありがたいお申し出でした。こうして当初からの目標であった10校達成が可能になったわけです」

 「そうだったんですか…」

達郎は弁の立つ新庄にそう返すのがやっとだった。

 「私が世界各国の会社から株を買っていることはおまえも知っているだろう?私は彼が株式を上場した頃からの株主でね。それが彼と出会ったいきさつだ」

 ジョンが達郎に向けて重い口を開いた。

「そういえば、会長が当社の株を購入してくださった理由をまだおききしていませんでした」

新庄がジョンに笑顔で話しかけた。

「たいした理由はないのだよ。“この会社はおもしろそうだ”と思ったら買う。経営者の人柄に惚れこんだら買う。それだけだ」

「そのどちらだったのか、おききしてよろしいでしょうか?」

「ははは。両方だと答えておこう」

「まいりました」

新庄はそう言うと、笑顔でジョンに頭を下げた。

「今日は炎天下を走り回って疲れた。私はこれで失礼するよ。後は若い者同士で食事を楽しんでくれ。私はルームサービスを頼んでゆっくりと部屋で休むことにする。年には勝てんよ。あっはっはっ」

「ええっ!?」

達郎は思わず大声をあげて、立ち上がってしまった。

「じゃあなタツロー。明日の朝は7時に起こしにきてくれ。鍵はあけておくから」

ジョンはそう言って席を立った。

「起こしに行かなくても、モーニングコールを頼めば済むことですよ!鍵をかけないなんて不用心です!親方!ちょっとまってください!親方!」

背後で叫ぶ達郎を無視し、ジョンは退散してしまった。新庄はそんな二人のやりとりを黙って見ていたが、こらえきれず、腹をかかえて笑いだした。その豪快な笑いに達郎は驚いて振りかえった。

「ああ、すみません。あんまりおかしくて。つまり、あなたは何も聞かされずに連れてこられたというわけだ」

「いや、それはその…」

沢木さんと私はこれから共に一つの目標に向かって仕事をしていく、言わば同志です。隠し事はなしにしましょう。事情はどうあれ、私は尊敬するテイラー会長が最も信頼しているあなたを信用します。これから数年の付き合いになるわけですし、改めてよろしくお願いします」

数年って?」 

「このプロジェクトはカンボジアだけじゃないんです。東南アジアを中心にしたプロジェクトで、フィリピン、タイ、バングラデシュ、インド、パキスタン、ネパールと続きます。ここカンボジアではエコロジカル・ログ・カンパニーさんと当社の二社で請け負いますが、その他の国に関しては他にも数社が加わってきます。それは日本の会社であったり、欧米の会社であったりします。会長から伺っていませんか?」

達郎は観念して、新庄に本音で語ることにした。

「恥ずかしながら、まったく知りません。ただ、世界を見せてやると言われ、最初に連れてこられたのがここカンボジアです。発展途上国から先進国までくまなく周るとは言っていましたが、詳細はきいていません」

「そうでしたか。でも、会長があさってカナダに帰られることはご存じですよね?その後、あなたは10日間ここに滞在し、私と一緒にこの国を周ることになっていますが、ひょっとしてそれもご存じない?」

達郎は絶句してしまった。あいた口がふさがらないとはこのことだ。

「ああ、やはりご存じありませんでしたか。実は僕は今の会社を興す前に、脱サラして、5年間アジアを放浪したんです。バックパックを背負ってね。沢木耕太郎の『深夜特急』のファンでして。カンボジアは一番長く滞在した国で、当時の知り合いとは今も交流しています。あなたは私と違って、工期中はずっとこのカンボジアに滞在しなければならないわけですから、カンボジアでの生活のノウハウを、これからの10日間ですべてお伝えしたいと思っています」

達郎は大きなため息をついた。

そうですか…。そこまで決まっているのなら、これはもう“お願いします”と言うしかなさそうだ。こちらこそよろしく頼みます」

達郎はそう答えると、今度は自分から右手を差し出した。新庄は快くその握手に応じてくれた。

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第26章 危険な誘惑

 それから、ジョンが帰国してからの10日間、達郎は新庄の案内でカンボジアを旅することになった。バックパック一つで放浪しようと言い出したのは新庄だ。高級ホテルから安宿まで泊まり歩いたが、途中、新庄の友人だというカンボジア人の家に二泊させてもらった。そこでは、カンボジア庶民の生活を垣間見ることができた。

 旅の間に二人は、互いのこれまでの人生やこれからの夢について語り合った。新庄は世界遺産のアンコールワットやアンコールトムにも連れて行ってくれた。夕日に染まるアンコールワットを見る頃には、互いを「沢木」「新庄」と呼び合い、確かな友情が芽生えていた。

 カンボジアでの工期はしばらく先の、乾期にあたる12月~1月ということだった。この時期は雨が少なく、気温が比較的低いため、プノンペンで最も過ごしやすい時期と言われている。達郎はプノンペンで過ごす日に備えて、お勧めのホテルや、おいしくて衛生的で安い食堂も教えてもらった。カンボジアの地酒も覚えた。

 あっという間に10日が過ぎて、カンボジアでの最後の夜がやってきた。翌日の正午に達郎はカナダへ、新庄は日本へ帰る。

 その日は、二人が初めて会ったインターコンチネンタルに宿をとった。これまで宿の手配をしてきたのは新庄で、ずっと同室だったが、今回は別々だった。

 「今夜に限ってどうしたんだ?金が尽きたわけでもあるまいし」

 達郎が新庄に話しかけた。

 「今日はお互い帰りが別々になるかもしれないからさ。男同志で同じ部屋に寝てもつまらないだろ。最後の日ぐらい羽を伸ばそう」

 「羽を伸ばすって、どういうことだ?」

 「おまえは俺と違って、二か月もここに滞在するんだ。慣れない土地で、明けても暮れてもトンカチでトントンやっているだけじゃ、おかしくもなるってもんさ。食べること以上にかかせないことがあるだろ?飯を食ったら、とびきりの場所に連れて行ってやるから」

 食事を済ませた後、新庄が達郎を連れていったのは売春宿だった。

達郎は生まれてこのかた金で女を買ったこともなければ、つきあう女に不自由したこともなかった。学生時代、成績は今一だったが、運動神経がよかったことと、その端正な顔立ちやルックスから、女の子にはよくもてた。初めてのセックスは年上の大学生で、高校時代に憧れていた先輩だった。もちろん自分からせまったわけではなく、相手からホテルに誘われた。

 由起子とつき合いだすまでにも、数人の女の子とつき合ったが、そのセックスも自然の成り行きか、相手にせがまれてそうなるかのどちらかだった。セックスをしたいと思うとき、達郎の前には常にさせてくれる“恋人”という女の存在があった。唯一、その例外が久美子だった。

 「目の前に映っている鏡の中から好きな娘を選べばいい。こっちから向こうは見えるが、向こうからは見えない仕組みになっている。この店はきれいな娘(こ)が揃っていて有名なんだ。客も官僚や実力者ばかりで、一般の客は入れない。会員制だ。いわゆる高級コールガールってやつさ。当然ホテルへの出張もある。割高になるけどね」

 「つまり、おまえはここの会員ってことなんだな。そして俺も今日から会員というわけだ」

 「おまえの入会費は俺の紹介料で相殺しておいた。今夜の花代は俺のおごりだ。俺はあの赤いドレスの娘にするが、おまえはどうする?」

 「せっかくだが新庄、俺は帰る」

 「へっ?」

 「おまえは俺に気を遣わず楽しんでくれ。じゃ」

 「ちょっとまてよ、沢木。タダでできるんだぞ。もったいないことするな」

 「もったいないとか、そういうことじゃないんだよ。とにかく俺は帰るから」

 「ああ、わかった。病気が怖いんだな。だが、ここの娘は大丈夫だ。この店はそういう面でも定評があるんだ。そんなに心配ならゴムをつければ問題ないだろ」

 「病気が怖いとかそういうことじゃないんだ」

 「沢木、おまえひょっとしてホモか?」

 「えっ?」

 「それならそうと言ってくれればよかったのに。それで今夜も同じ部屋に泊まりたかったんだな。そうか…。だが俺はいくらおまえでも、男とはやりたくない。何ならこれからニューハーフの店を紹介するよ」

 達郎はふきだした。新庄の真剣な表情がおかしかった。

 「俺はホモでもなければ、病気が怖いわけでもない。本当にその女を抱きたいと思ったら、俺はその女が病気でもセックスするよ。俺は惚れた女しか抱かないんだ」

 「沢木、二人でいるときにカッコつけても意味ないぞ。惚れた腫れた関係なしでやりたいときだってあるだろう?」

 「あるけど、あいにくそういうときはいつも相手がいてね。俺は素人で十分さ」

 「沢木、おまえってやな奴だな。遠回しにもてるのを自慢してるようなもんだぞ」

 「おまえだって男の俺から見ても十分男前だよ。女を買う必要なんてないんじゃないのか?」

 「確かに女には不自由してないさ。でも、たまには外国の女を抱きたくなるのさ」

 「それならそれでいいじゃないか。おまえが妻帯者だからって、俺はそんなお前を責めようとは思わないし、おまえの奥さんに話したりしないよ。だから安心して楽しんでこい。な?」

 達郎はそう言って新庄の肩をポンと叩いた。達郎のくったくのない笑顔に新庄は降参した。

 「わかったよ。勝手にしろ。しかし、おまえも変わった男だな。だが、おまえがそんなに惚れ込むなんて、さぞかしいい女なんだろうな。一度会ってみたいもんだ」

 「とびきりの美人さ。いずれ紹介するよ。約束する」

 達郎は日本にいる久美子のことを思った。自分とは対照的な新庄を友人だと紹介したら、久美子はどう思うだろう。生真面目な久美子のことだ。新庄の性格に難色を示すに違いない。その場面を想像しただけで、達郎はおかしかった。

 達郎は店主にタクシーを呼んでもらい、一人その店を後にした。プノンペンの夜景はバンクーバーとは対照的で、ホテルがある繁華街に出るまでは、信号機の影も形も見えず、どこまでも暗かった。

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