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第30章 再会

 翌日、久美子はアンがアメリカ人であることや、二人がアメリカの大学で知り合い、学生結婚をしたことなどをきかされた。大学を卒業後、揃ってアメリカで働き、子供の出産を機にトムの故郷であるカナダに移住したのだという。トムは税理士、アンは医師の資格をもっているが、現在は揃ってセミリタイヤし、育児に専念している。そのかたわらトムは小説、アンはパッチワークと、趣味をエンジョイしているのだった。

 「この若さでセミリタイヤなんてすごいわ。どうやってお金を貯めたの?」

 「お金があってのセミリタイヤじゃないの。5年かけて貯めたお金を切り崩しての生活よ。子供が小学生になったら二人で社会へ戻るわ。そのときはスッカラカンになっているでしょうね」

 「30代で定年なんて、そんな発想もあるのね」

 「日本はどうか知らないけど、こっちじゃそれほど珍しいことじゃないの。アメリカじゃ特にね。“お金が貯まってから”とか、“いつか”とか言っていたら、いつまでたっても何もできやしないわ。思った時がやる時なのよ。まあ内容によっては、ある程度の準備期間は必要だけど」

 「二人とも社会復帰は以前の職業に戻るんでしょう?」

 「さあね。トムは税理士は廃業したって言っているわ。小説一本で行くんだって。私は…そうね、勤務医をしながらまた貯金して、大学に戻るかも」

 「大学?30代で大学生になるの?大学に2回も行くの?」

 「日本は高校→大学→社会人というのが一般的らしいけど、こちらではそうじゃないの。仕事は慎重に、時間をかけて決めていくの。大学を出たら、いろいろな職種を試して、自分の適性を知って、やりたいことを模索して、そうしてはじめて進路を決めるの。そこに行きつくための順番なんてどうだっていいのよ。この道はやっぱり違ったと思ったとき、あるいはこっちの道に行きたいって思ったとき、何回でもやり直せばいい」

 アンと久美子、トムと達郎は4人揃って同い年だが、同じように母であり妻であるアンの生き方に、久美子は衝撃を受けた。

 「日本ではまだそういう生き方は社会的に容認されていないから、そんなことをすればするほど再就職時の初任給は落ちていくわ。30代を中心としたベンチャービジネスの会社では、そういう欧米のスタイルを取り入れているところもあるけど、まだ少数よ。そういうスタイルを貫く日本人は逆に日本を出て、アメリカで活躍している人も多いわ」

 「クミコは今、何かやっているの?」

 「英会話教室の講師をしていたけど、半年ちょっとで首になっちゃったの。結局、専業主婦に逆戻り」

 「主婦業だけで満足してる?」

 「いいえ。でも、数年前までは満足していたのよ。他に何かをやろうとか、考えたこともなかった。でも達郎さんに会って、考え方が変わったの。専業主婦が無能だとか、それに専念することが悪いとは言わないけど、もう家庭の中だけにいたくないの。子供が手を離れたからとかじゃなく、私自身のこれからの人生のために。家族のために生きることと、私自身のために生きることがイコールでなくなってきたせいもあるけれど…。今もあなたの話をきいて、ますますこのままじゃいけない、自分も何かしたいと思ったわ。ただ勤められればいい、ということではなくて、自分が本当にやりたいことを仕事にしたいって。でも自分がやりたいことが何なのか、自分のことなのにわからないわ」

 「子供の頃に好きだったこととか、夢中になっていたことは?」

 「絵本とか…好きだったけど…」

 「だったら絵本作家になったら?」

 「そんな…。突拍子もないこと言うのね。そんな簡単になれるわけないわ」

 「最初は“自称”でいいのよ。すぐになる必要はないし、確かに簡単になれるものでもない。トムは昨日あなたに“小説家だ”なんて言っていたけど、まだ一作も完成していないのよ。でも本人は作家のつもりで名刺まで作って、裏にサインまでして、友だちに配っているわ。笑っちゃうでしょ?最初はそういう簡単なことからでいいのよ。大切なのはあなたがそれをしていて楽しいかどうかなんだから」

 「楽しいかどうか…」

 「そう。逆にお金を払ってでもやりたいことと言ってもいいかしら」

 「ずいぶん盛り上がっているようだけど、何の話だい?」

 トムが顔を出した。

 「早かったのね。ちょうどあなたの噂をしていたところよ」

 アンはそう言いながらトムの首に手を回し、頬に軽くキスをした。

 「女同士、だいぶ打ち解けたようだね。ところで具合はどう?」

 トムは笑顔で久美子に話しかけた。

 「熱もすっかり引いて、食欲も出てきました。本当に何てお礼を言っていいか…」

 「良かった。君に何かあったらタツローに申し訳がたたないからね」

 「あの…達郎さんとはどういう?」

 「タツローが初めてカナダにきたとき、ヒッチハイクで捕まえられちゃったんだ。空港で金をすられたとかで、とりあえずスタンレー公園まで送っていった。あいつ、そのままそこでホームレスになって、テイラー夫人に拾われたのさ。それからしばらくして行きつけのバイク屋で偶然会って、意気投合してね。タツローが今乗っているハーレーは僕のおさがりさ」

 「あれはあなたのハーレーだったのね」

 「僕は今、ドイツのBMっていうバイクに乗っているんだけど、それに買い換えるときに、それまで乗っていたハーレーを売ろうと思っていてね。そうしたら、タダであいつに持ってかれちゃったのさ」

 「人聞きの悪いこと言うなよ。とても売れるようなシロモノじゃなかったぜ」

 そう言って入ってきたのは達郎だった。

 「タツロー?おまえ、明日の朝帰ってくるんじゃ…」

 アンも久美子も驚いた。

 「飛行機のチケットがとれたんでね。おまえと電話しているときは空港にいたんだ」

 「タツロー、おかえりなさい」

 アンが達郎に声をかけた。

 「アンは昨日も泊まってくれたんだって?ありがとう」

 達郎はそう言いながらアンに軽くハグをした。

 一年半ぶりに見る達郎は日に焼けていて、腕が筋肉のせいで太くなっていた。逞しくなった達郎が久美子は眩しかった。

 その夜は寝室にテーブルを持ち込んでのディナーとなった。アンとトムは気を利かせたのか、夕食を終えると早々に帰っていった。

達郎がシャワーを浴びに行っている間、久美子はベッドに横になったまま、暖炉の炎を見つめていた。達郎がパジャマ姿になって戻ってきた。

 「まだ起きてたの?先に休んでてよかったのに」

 達郎はそう言って久美子のとなりに横になった。暖炉の火が互いの顔を赤く照らし出す。二人は笑顔で見つめ合った。達郎は久美子の首に腕をまわし、そっと抱き寄せた。

 「何か不思議な気持ちだな。家で君がまってるなんて。こうして一緒に眠れるなんて。俺は夢でもみてるのかな」

 達郎は久美子の手を握りしめながら言った。久美子も同じ気持ちだった。だが、久美子は胸がいっぱいで言葉が出てこなかった。

 「リオデジャネイロからバンクーバーまでは直行便で?」

 ようやく言葉が出た。

 「いや。メキシコで乗り換えた」

 達郎は少しだけ体を離し、久美子の目を見て答えた。

 「長いフライトで疲れたでしょう?」

 「大丈夫だよ」

 「達郎さん、仕事は…」

 「心配しなくていいよ。今回は下見を兼ねて打ち合わせに行っていただけだから。実際の工期は来年の暮れか再来年になると思う。来週、正式な契約と細かな打ち合わせを兼ねてもう一回行かなきゃならないけど、すぐに帰ってこられるから安心して」

 「ごめんなさい。無理をさせて…」

 「そんなことはいいんだ。こうして会いにきてくれたんだから」

 「トムさんから海外事業部というところに異動になったってきいたわ。ブラジルから戻ったら、どこかの国へ行ってしまうの?」

 「今月の終りにはバングラデシュに行くことになってる。アジアの農村に、ログハウスの学校を建てるっていう仕事なんだ。その後にパキスタン、インド、ネパールと三年かけてまわる。リオデジャネイロの仕事は突然入ってきた仕事で、何とか都合をつけて、インドとネパールの工期の合間にやるつもりだ」

 離れていた一年半の間に達郎がどんなに大きく成長したか、その眼の輝きでわかる。

 「アジアが終わったら、今度は先進国をまわるんだけど、こっちは学校じゃなく孤児院が中心なんだ」

 「その孤児院も全部ログハウスなの?」

 「もちろんさ。カタログを見せると、どこの国の子供たちもハンドヒューンタイプがいいって言うんだ。あの山小屋風の何ともいえない雰囲気がいいんだろうな。契約してくれるオーナー側もログハウス=ハンドヒューンだと思ってる。他のタイプを知らないんだよね。でも、コストによって希望通りにいかなくて、立地の条件によってはログハウスもどきになってしまう場合もある」

 「ログハウスもどき?」

 「うん。ログハウスに似せたツーバイフォー住宅さ。日本の街中にあるログハウスに見える喫茶店なんかがそのいい例だよ。一階だけをログ組みにすることによってそれらしく見える。この大きなプロジェクトは、親方の長年の夢だったんだよ 

 「親方…。ジョンさんは、今回私のしたことを怒っていたでしょ?」

 「親方は君がバンクーバーにきていることは知らない」

 「何て言ってきたの?」

 「何も言ってない。親方は身体の具合がよくなくて、今回のブラジル行きは見合わせたんだ。親方は今、このバンクーバーにいる。自宅で静養中だ」

 「そんな…。それなら、お見舞いに行かなくちゃ」

 「何言ってるの。君だって充分病人なんだよ。あと2、3日は安静にしていないと。それに俺は今、日本にいることになってる。一緒に見舞いになんて行けないよ」

 「日本に?」

 「身内に不幸があったことにしたんだよ。急だったからね。それしか手はないだろ?」

 「それはそうだけど…」

 久美子がそう言って顔をあげると、達郎はすでに熟睡していた。

 久美子は達郎の眉や高く通った鼻筋、唇を指でそっとなぞった。目の下にうっすらとクマができている。かなり疲れているのだろう。達郎が仕事を放り出してまで飛んできてくれたことが、久美子は嬉しかった。

 久美子は達郎の喉元に唇をつけるようにして目を閉じた。達郎のぬくもりが、久美子を深い眠りにいざなった。

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