第37章 大自然に抱かれて
ジャスパーからレイク・ルイーズまでを結ぶアイスフィールド・パークウェイ(93号線)は、世界屈指のドライブ・ルートとして知られている。全長約230kmの道沿いには3000m級のロッキーの山々が連なり、多くの氷河や美しい湖が点在する。
アイスフィールド・パークウェイのハイライトと言われるコロンビア大氷原は、総面積325kmに及ぶ巨大な氷原で、ジャスパーから1時間30分ほどで着く。パークウェイから見えるのはこの大氷原から流れ出す8つの氷河の一つ、全長6kmになるアサバスカ氷河だ。毎年25mという速度で、大地を削りながらゆっくりと移動している。パークウェイ沿いにあるアイスフィールド・センター展望台からは、コロンビア大氷原と流れ出る氷河が見渡せる。
達郎と久美子は氷河湖の横の駐車場にハーレーを停め、氷河まで歩くことにした。手をつないでモレーン(推積物)の瓦礫道を歩く。やがて『1982年はここまで氷河があった』という標識が見え、次に1992年の標識があり、坂を下っていくと氷河の一端が見えてくる。
天気は快晴で、氷河の反射から目を守るため、二人はあわててサングラスをかけた。氷河の前に立つと、上部から冷たい風が吹き降りてくる。久美子は思わず腕組みをし、背中を丸めた。そんな久美子を達郎が包み込むように抱き寄せ、二人は寄り添って氷河の上を進んだ。
「危険」と書かれた表示の前で立ち止まると、後ろからやってきたハイカーのカップルに声をかけられた。カメラのシャッターを押してくれと言うことだった。快くOKしたら、向こうも同じようにシャッターを押してくれた。達郎と久美子はその場で引き返したが、カップルは「危険」表示をもろともせず、その先に歩いて行ってしまった。
コロンビア大氷原をあとに、二人のハーレーはジャスパー国立公園からバンフ国立公園を経て、ヨーホー国立公園に入った。パークウェイから見えるボウ・レイクは、氷河の雪解け水が、モレーンでせき止められてできた湖だ。だがそこには寄らず、そのままレイク・ルイーズを目指した。途中、道路脇をビッグホーン・シープ(オオツノヒツジ)が歩いているのを見かけた。達郎が急ブレーキをかけ、いきなりハーレーを止めたのは、それから数分後のことだった。
「どうしたの?」
久美子が驚いて達郎に尋ねると、達郎は道路の先を指さした。見ると、二匹のシーンホーン・シープが道路を横断しようとしていた。
「かわいい!ハーレーを降りてちょっと行ってきていい?」
「えっ?だ、だめだよ!」
「どうして?」
「どうしてって…。うちで飼う犬や猫とは違うんだよ。相手は野生なんだ」
「もう少し近くで見てみたいの。カメラのズームを使っても、ちょっと厳しいのよ」
「だめだ。車の中からならまだしも、直接近づくのは危ない。言っておくけど、明日行くバンフでは、ビッグホーン・シープやシーンホーン・シープが町の周辺をウロウロしている。当然、近くに来ることもある。でも、だからって喜んで触ったり、むやみにカメラをかまえたりしちゃいけないんだ。写真を撮られることは、野生動物にとってストレスになるからね」
「厳しいのね…」
「確か鹿みたいな大型動物は30m、クマは100m以上離れることになってたはずだ」
「わかったわ。ここでおとなしく見ていることにするわ」
「それがいい。カナダの森林にはたくさんの動物がいる。彼らが道路や町の周辺を闊歩しているのは、人間との間にそういう暗黙のルールがあるからさ。さっき道路からボウ湖が見えたろ?あの辺りは、走っているとしょっちゅうグリズリーに遭う。それでも、驚かせないように運転すれば何の問題もない」
「問題ないって…。だって、グリズリーってクマでしょ?」
「グリズリーはロッキーの看板動物だ。避けては通れないよ。それにグリズリーに限らず、これからあちこちでブラックベアにも遭遇するから、そのつもりでいてよ」
「えーっ!遭遇したときはどうするのよ」
「近づかなきゃいいのさ。遠くで目が合うくらいじゃ寄ってこないよ」
「間近で遭遇しちゃったらどうするの?」
「どうにもならない。助かる見込みはないな」
「そんな簡単な言い方して…。あなたはクマが怖くないの?」
「クマが怖いようじゃ、カナダの山奥でログハウスなんて建てちゃいられないよ」
「そりゃそうだけど…」
「あとはたくさんの鹿に会えるよ。エルクやムース、ミュールジカやオジロジカとか。他にはコヨーテ、オオカミとかね」
「クマとコヨーテとオオカミには会いたくないわ」
「もとは動物だけの世界に人間が参入したんだ。そういうワガママは通らない。会ったら遠くから心で触れ合えばいいんだ。それから、餌をやってもいけないよ。国立公園内の動物に餌を与えることは禁止されているからね。人なつこいリスや小鳥でもだめだ」
「徹底しているのね」
「動物には動物の世界がある。自然に干渉しないで、静かに互いを見守るのが共存の道なのさ」
シーンホーン・シープが道路を渡り終え、森の中に消えたのを見計らって、達郎は再びハーレーを走らせた。
レイク・ルイーズ・ビレッジを過ぎ、15分ほどでモレーン湖畔にあるレイクロッジホテルに着いた。ここにある『ザ・ウォルター・ウィルコックス・ダイニング・ルーム』は、バンフ国立公園にある最高のグルメレストランの一つだ。二人はここで昼食を済ませた。
駐車場から少し歩くと、湖に向かって左側に小さな岩場がある。ここに立って見るモレーン湖は、展望台のそれに勝るとも劣らぬほどに美しかった。
湖を囲むテン・ピークス(10の頂を持つ山々)がコバルトブルーの湖面に映し出され、白い氷河と緑の森のコントラストがさらにその美しさを際立たせている。カナダの旧20ドル札にも採用されたことも頷ける。
夕方まではまだたっぷりと時間があるので、達郎と久美子はカヌーで湖に漕ぎだすことにした。
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